茄子も食べられるようになったし
現在高専2年生の上原梅音です。
私は小学3年生のとき、陸上競技を始めました。それ以来打ち込み続けており、在学中の鈴鹿高専でも陸上部に所属しています。
16年11ヶ月という短い人生の中で、陸上をやっていて「不調」だと感じていた時期が2回あります。1回目は、中学3年生の春から夏にかけてでした。
中学に入ってから、私の陸上成績は右肩上がりでした。中心的に取り組んでいた走幅跳では県大会でトップを維持し、山梨県代表として3年間連続で関東大会に出場することができました。強化練習会に参加する機会が増え、県内トップの中学生選手や強豪校の先生方とのつながりは、私の心の支えになっていました。
3年間の集大成として、全国大会出場を視野に入れていた3年生手前の強化練習で、ある先生が言いました。
「女子は特に、今後体重管理が要になる。食事にも気をつけないといけない。」
選手として一つ上の段階に進むために、これまで自ら大きな変化を起こしたことを自覚したことはありませんでした。というのは、例えば怪我をしていた小学5年生の時にひたすら体幹トレーニングをしていたことは、次の年からの選手としての飛躍的な成長につながる大きな要因だったと、今は振り返ることができます。しかし、14歳のときの私は、もっと決定的な変化が必要だと信じていました。「栄養・体重管理」だなんて今まで考えたことはなく、これこそが私に欠けている要素だと思いました。
良い筋肉をつけなければならないと思い、まずは大嫌いだった肉や魚で良質だとされたものを意識して食べるようになり、一方でご飯を徹底的に減らし、頻繁に食べていたおやつはやめ、今まで嫌いだったけど、調べたら栄養満点と書いてあった野菜をたくさん食べるようになりました。
1ヶ月に1キロずつ体重が減り、丸かった顔や、くびれのなかったお腹がみるみるすっきりしてきて、これで記録が伸びない訳がないと感じているうちに、シーズンイン。
なんと、100m走のタイムが1秒落ちました。コーチ曰く、陸上選手において信じられないことみたいでした。
中学最後の関東大会。3年連続となる同じ種目での出場や、練習会で積極的にリーダーシップをとってきたこともあり、選手団リーダーを任されていました。
さすがにやっていることがプラスになっていない、むしろマイナスになっていると気づいたのは、全国大会出場が決まる大会の1ヶ月前でした。ご飯を茶碗2杯分、おやつも食べまくり、全国大会はならずとも、掴めた関東大会への出場権。その関東大会、出場種目の2日前に、現地で足を怪我。その状態のまま出場したのを最後に、中学陸上生活を終えました。
3年生の12月までの約1年間、生理が来ませんでした。
在学中の鈴鹿高専への進学を決めたのも、3年生を前にした冬でした。
実家のある山梨県早川町の大自然も、私の体も、化学反応の絡み合いで成り立っているという不思議さに興味を持っており、それを探究するために、レベルの高い知識を早く学びたいと考えていました。高等専門学校、特に生物応用化学科のある鈴鹿高専は、私の好奇心に適う刺激的な環境に思えました。
中3の4月、学校に直接連絡をとり、平日に父と見学をさせてもらいました。その際に、陸上部があること、顧問の先生が保健体育科の教授で、リオオリンピックに走高跳で出場した、鈴鹿高専卒業生の衛藤昂選手をはじめとするトップアスリートを学生時代から指導してきたすごすぎる人だと知りました。
中学最後の大会後、体の発達、栄養、動きの仕組みや連動を正しく理解し、アプローチを変えて陸上にまた打ち込みたいと思うようになり、鈴鹿高専で、学業に励みながら陸上も頑張りたいという気持ちが強くなっていきました。
陸上をやっていて「不調」だと感じていた時期。2回目は、今です。
高専2年生に進級する頃から、走っていて、自分の体がどうにも動きにくいと感じる時期が続いているのです。中3のあの頃でさえ感じなかった不思議な感覚で、なんと100m走は昨年より2秒遅くなっていました。2秒。
きっと今が、女性ホルモンの分泌が関わり、身体が大きく変わろうとしている時期なのかもな、と思っています。
そんなとき、100mハードル選手の寺田明日香さんがゲストのオンライン交流会に参加する幸運に恵まれました。
小学生から始まる陸上キャリア、陸上以外でのキャリア、その節目で悩んだこと、大切にしていたこと、寺田さんの言葉を聞くことができた、忘れられない時間でした。
寺田さんの高校卒業後の進路選択のお話が印象的でした。高校3年生までに、相当に輝かしい成績を築いてきた寺田さんに、コーチは、競技力向上のため実業団に入ることを勧めたそうです。「大学進学も含め他の選択肢はあったのだろうけど、その時はそれしかなかった」とおっしゃっていました。
選択肢があること。選択肢が多いこと。それは豊かさだと私の父は言います。
中学卒業後の進路として、高校だけでなく「高専」という選択肢もあった中で選べたこと。それがあったからこそ今があると実感します。
また、寺田さんは、人生における選択の場面で、「今しかできない」を基準にしているとおしゃっていました。
中3のはじめ、陸上選手として強くなるためにとる行動として、本当はたくさんの選択肢があったのだと思います。当時に限ったことではなく、これから自分で何かを決めるときに選択肢をたくさん持つためには、相応の知識や経験が必要なんだろうと思っていました。
交流会の中で、私は今の自分の状況を伝え、質問をしました。
「陸上をやっていて、自分の身体が変化していると感じていた時期を、どう過ごされていたのですか。」
そんな私に寺田さんは、「女性の身体に変化する時期はあるんだということをまずは知って、あとは、ゆっくりできた時に、自分がどう変わったかちょっと考えてみてほしい。」と言いました。「たとえばこれが食べられなくなったな、逆にこれが食べられるようになったな、とか。」
「今しかできない」ことに突っ込んでいくことの繰り返しは、めぐりめぐって自分の視野を別の次元へ広げてくれるのかもな、と思いました。「今しかできない」というのは、「今しか感じられない」も、そう。こんな状態の今だからこそ抱く感情、見る景色、出会う人は今しかないものなのかも。広く張っておいた興味のアンテナがピクッと動いたとき、全力で取り組んだ数々の経験が絡み合い、将来、そのときは想像もしていなかった形で何かを咲かせるのかもしれません。マグロやいちじくの美味しさに気づけたも、中3の春に食わず嫌いを克服したからでしたし。
(う)
