インチキはダサい。本質的でありたい。
昨日(11/6)は、集落の水道工事に一日中かかりきりでした。
不具合に気づいたのは春。水源をひとつ無駄にしてしまっている状況でした。業者に委託するほどの規模でもなく、このくらいは自分たちでやります。ですが工事の日程調整がうまく行かず、つい後回しに。すぐに手をつけることができればよかったのですが、水不足が心配される冬を目前に、とうとう動き出したというわけです。
一緒に作業したのは大先輩の(ま)さん。険しい山の奥深くに分け入る水源ではありませんが、工事が必要になっている箇所はいずれも急斜面。(ま)さんは後期高齢者ながら身のこなし良く、足場の作り方やロープ紐の使い方が上手で、無理な体勢で作業することはありません。これはとても大事なこと。ツリーワークや石積みをする人間としても大変参考になります。
キツイ現場でしたが、おかげさまで、工事は完了することができました。(ま)さんのおかげ、いつまでも達者ですごいね。それで済まされないなと、今回はつくづく感じました。
ひとくちに「田舎」と言っても、イメージは人それぞれ。ある人にとっては地方都市も十分田舎であるだろうし、都会へのアクセスも良い里山地域をイメージする人もあるかもしれませんが、ド田舎の暮らしにまで思いが及ぶ人は珍しいのではないでしょうか。
地方創生、地域活性化、村おこし、、、なんとなく若者が増えることを期待する向きがありますが、果たしてそんなに単純なもんなのだろうか。私たちの暮らす地域は〝ド田舎〟のカテゴリに含まれると思いますが、人々の暮らしのみならず、事業を営む上でも、水道の利用は不可欠のはず。でもその利用のためには、ある程度以上、自分たちで水源からメンテナンスしていかなければなりません。都合よくいつでも頼れる業者が近くにいるわけではないですし、行政を頼れるケースであっても、予算化から実施まで時間がずいぶんかかるでしょう。
そこまで気を回せる若者って、現代ではどれくらいいるだろう? 知らないことはやむを得ませんが(僕もかつてはそうでした)、山を覚えたり、手入れのための技術を習得するまで、あるいはそういうことに積極的になれない人のことは、手入れができる人がずっと面倒を見ているような状況が続きます。何でも他人任せの若者が増えても、一方では負担が増えるばかりなんです。
それで本当に活気づいていると言えるのかどうか。学生が増えるだけでは大学は評価されないのと同じ。教育の内容や研究の成果、地域貢献、目指す人材の育成など、本当の評価軸は別にあります。
インチキはダサい。本質的でありたい。
コアには、その地域らしさや、その地域を成り立たせてきた人々の生き様があって、それが時代に合った新たな価値を持つことで強化されたり、安定感が増すような社会づくりを包含して、それを地域づくりやまちつくりと呼びたい。そこまで突き詰めて考えてみて、(ま)さんが奈良田で果たしてきたことは、本当にすごい。僕にとっては、まさしくお手本のような方です。
(ゆ)