スー、高校生になる(2)
コルカタから戻ってきて、愛媛で山梨で毎年賑やかに、試行錯誤して、それでも家族そろって健やかに暮らしてきた。とはいえ、(ゆ)と0歳の(う)と飛行機に乗っていた時のこともはっきりと覚えているのに、あれから16年も経っていて、今度は(す)と二人で飛行機に乗ることになろうとは。
カヌーポロを思いきりやれる高校生活を送りたい。その確固たる思いと努力する(す)を日々見てきて、私と(ゆ)はニュージーランドへの進学も視野に入れることを支援することにした。学校とのやりとりも重ねてきた私が、完全アテンドのニュージーランドへの高校見学の旅。未知なこと、久しぶりなことばかりで不安もあるけれど、重大ミッションなので気を引き締めてかかった。(どんなシーフード料理に出会えるか、も楽しみだった。)
夜な夜な下調べをしていると、なんとFBで知り合いがニュージーランドで永住権を取得したという記事が目に飛び込んできた。私が大学を休学して参加していた国際NGOの当時のスタッフで北欧出身のKだ。当時私は19歳、アメリカで研修生。私は彼のことをよく覚えていて、その穏やかなで誠実な雰囲気にかなり助けられた。さて、あちらはどうだろう。当時日本人も私以外いなかったし、研修後にインド行ったのも私だけだったし・・・覚えてるかも!とダメ元でメッセージを送ってみた。するとすぐに「懐かしいね!」のお返事が。よし、未知の場所だったはずのオセアニアが、Kのおかげでググっと身近になった気がした。私たちとしては大変ありがたいことに、国際便が到着するオークランドに住んでおり、空港で会えることに。他にも服装や持ち物のことなど滞在についての相談にも乗ってくれ、なんてこった、たちまちものすごい安心感。
さて滞在を経て、帰路につきながらの私のメモを手掛かりに、当時の気持ちを以下にまとめました。
*
朱座の弾む心の音が、ひしひし伝わってきた。
ネーピアの街中を流れる川を見て、地域のカヌー場をみて、通りがかりの庭先にある誰かのカヤックをみて、クラブチームの看板を見て、いちいち小躍りが止まらない様子。そして目にしたシニア、ジュニアの大会の様子。いきなり大会に飛び込んでプレーさせてもらった同世代の男の子たちとの雰囲気。カヌー場に並ぶ、ギアが詰め込まれた沢山のコンテナ。訪問したNBHSが、学校としては唯一コンテナをひとつ貸切っていて、そこには生徒が使っていいギアがしっかり揃っている。ああ、本当だ。コーチからの事前の情報通り、水着だけ持ってきたらすぐにjump on!で仲間入り。もうこの状況だけで、「ここに来たい!」とすくらが思っていることは読み取れたし、私が彼だとしても、もう十分すぎるくらいの確信。ここで過ごしたい、修行したい、仲間になりたい、と。
ネーピアの街中を流れる川を見て、地域のカヌー場をみて、通りがかりの庭先にある誰かのカヤックをみて、クラブチームの看板を見て、いちいち小躍りが止まらない様子。そして目にしたシニア、ジュニアの大会の様子。いきなり大会に飛び込んでプレーさせてもらった同世代の男の子たちとの雰囲気。カヌー場に並ぶ、ギアが詰め込まれた沢山のコンテナ。訪問したNBHSが、学校としては唯一コンテナをひとつ貸切っていて、そこには生徒が使っていいギアがしっかり揃っている。ああ、本当だ。コーチからの事前の情報通り、水着だけ持ってきたらすぐにjump on!で仲間入り。もうこの状況だけで、「ここに来たい!」とすくらが思っていることは読み取れたし、私が彼だとしても、もう十分すぎるくらいの確信。ここで過ごしたい、修行したい、仲間になりたい、と。
この旅のサポートにあたり、私はアメリカの大学を目指したいと言ったときに叶わなかった、高校生だった自分を投影させているのかどうか、これは何かへのリベンジなのか?と考えてみた。いや、正直なところ、本当にそうでない。留学を家で認めてもらえなかった悔しさは、大学を休学しての国際NGO参加の原動力になった。それがあってのコルカタ勤務、そして明浜~奈良田への道。とても誇らしい家族での道。
今は純粋に(す)を想いをみている。小学校でフラストレーションをためていた(す)の熱意やイライラを受け止めてくれたカヌーとの出会い。川のこと山のこと水のことを教えてくれた本流堂(た)ちゃんやクラフトパーク(さ)コーチとの出会い。そこからのめりこんでいった競技としてのカヌーポロ。納得いかなかった小学校での環境への考え。(す)にはカヌーについても学校としての勉強の場についても憧れる環境があって、それが両方ともこの場所にはあるのだ、日常生活になるのだ、ということを知ってしまったネーピア訪問だったと思う。
今は純粋に(す)を想いをみている。小学校でフラストレーションをためていた(す)の熱意やイライラを受け止めてくれたカヌーとの出会い。川のこと山のこと水のことを教えてくれた本流堂(た)ちゃんやクラフトパーク(さ)コーチとの出会い。そこからのめりこんでいった競技としてのカヌーポロ。納得いかなかった小学校での環境への考え。(す)にはカヌーについても学校としての勉強の場についても憧れる環境があって、それが両方ともこの場所にはあるのだ、日常生活になるのだ、ということを知ってしまったネーピア訪問だったと思う。
思い返すに、高校生だった私はアメリカの大学に挑戦したかったけれど、何を勉強したい、取り組みたい、ということを明確には持っていなかった。それがきっと、両親を説得させるには不十分だったのだろう。誰になんといわれても応援を取り付けられるくらいのエネルギーや熱意が明らかに不足していたのだろう。(す)の明確すぎるくらいの、ポロを思い切りやりたいという環境への熱意が気持ちいい。修行を経て、日本代表になって、さらにその先にもっと強くなりたいという。自分みたいなジュニアに沢山教えてあげられるようになりたいともいう。
そのためのポロ技術、精神的なチャレンジ、自由な科目選択による卒業後の職業という意味での進路の幅。それを総合的に考えて、東京でも福井でも愛知でもなく、ネーピアに心が弾むという。そんな13歳を、現地まで連れて行って情報収集して面白がって応援する大人であるのは、私としても誇らしい。我が家に資金面の強みはないが、未来の明るい大人になるこの人を、一緒に応援してくれる人たちと見守っていけるとしたら、何と明るいプロジェクトだろうか。
今回の訪問を経て、ひとつだけ心配があるとしたら、(す)が英語に関して「何とかなると思う」と変に自信を持ってしまった点かなと思った。気を付けてゆっくり会話をしてくれる人との会話は問題なし。私と話している人の会話を聞いて、内容は大体理解できているようだ。高校1年生の頃の私と比べれば、会話レベルは、英語技能的にもおじけづかない性格的にもはるかに越していると思う。ただ、コーチがプレー中、練習中に出す指示や説明は全く理解できていない(ように見えた)。プレーに関してはかなり評価され感心されていたのは事実だが、最終日、こんなことを言われていた。
今回の訪問を経て、ひとつだけ心配があるとしたら、(す)が英語に関して「何とかなると思う」と変に自信を持ってしまった点かなと思った。気を付けてゆっくり会話をしてくれる人との会話は問題なし。私と話している人の会話を聞いて、内容は大体理解できているようだ。高校1年生の頃の私と比べれば、会話レベルは、英語技能的にもおじけづかない性格的にもはるかに越していると思う。ただ、コーチがプレー中、練習中に出す指示や説明は全く理解できていない(ように見えた)。プレーに関してはかなり評価され感心されていたのは事実だが、最終日、こんなことを言われていた。
「Hey、スー、ポロへの情熱と同じくらいの情熱を英語にも注いて戻ってきてくれたら、すぐにシニアのトップチームに入れたいくらいだよ」
(す)は言われたことの後半部分に喜んでいたけれど、私としては前半部分が重く響いた。本人に、英語だけの生活への現実的な危機感が薄いような気がすることが、気がかりといえば気がかり。行けば何とかなるには違いないが、慣れるのに例えば1年かかっているようでは、もったいない。ニュージーランドの高校に進学するとして、あと1年でどこまで準備できるか、私がどこまでサポートできるか、(す)がめげずに継続して取り組めるのか。英語が得意だと思っていた19歳の自分がアメリカで直面した「頭の中真っ白」な2週間は、(す)にはどれくらいの期間になるのだろう。(今から思えば、悲惨だったのは2週間。2週間で済んだのかと思うが、気持ち的には長かった・・・。)
言語の壁をカヌーポロのプレーと持ち前の明るさで突破していけるのか。英語での授業への準備をしっかりして臨めるのか。どういうプランで勉強して、どれくらい時間を割く覚悟があるのか。挑戦は今でなくてもいい、と言ってやるのはたやすい。でも、これまでの自分の進路を振り返ってみても、今飛び込みたい!と思ったことに飛び込む最適なタイミングは、その時でしかない、とも強く思う。精神的、英語力準備、手続きや関係者への情報収集の面で、彼の挑戦を支えてやりたい。資金面での協力者を募りたい。
(さ)が小学校入学を機会に、私が仕事をできる機会も増えるだろう。準備に時間を割いてあげられるとも思う。とはいえ無理をして、(ま)や(さ)にしわ寄せが来てしまうのは避けたい。奈良田の生活にも夢があり、可能性があり、平和であるから大事にしてきている。
帰国後、まだ(す)は最終決意を私たちに伝えてきてはいない。でも、ニュージーランドに行きたい、と言い出すことは何となく分かっている。さぁ、どうしましょうか!
君は、翔ぶのか?
(わ)