スーの船出 その2
ニュージーランドに来てまだ数週間。でも、体感では何か月も過ごしたような濃さがあります。 正直に言えば、出発前は強がっていました。親や仲間の前では「なんとかなる」と笑っていたけれど、本当は怖かった。言葉は通じるのか。カヌーは通用するのか。生活は回るのか。自分はここで必要とされるのか。空港で家族の顔を見たとき、覚悟は決まりました。でも同時に、逃げ道もなくなったとも感じました。 到着してすぐ、その現実を思い知らされました。英語の授業では、頭の中では分かっているのに言葉が出てこない。ホームステイでは、相手の冗談に笑うタイミングすらずれる。スーパーでは値段の感覚も違う。日本で「普通にできていたこと」が、ここでは一つずつ考えないとできない。勉強も同じでした。内容は理解できるのに、英語で答えると精度が落ちる。とてももどかしく、自分の実力が削られているような感覚でした。 そしてカヌー。練習はすでに始まっていて、週末には大会。その試合は、今後の環境にも関わるかもしれないと聞きました。ただの試合ではなく、「選ばれるかどうか」を意識する場。異国で結果を出せるのか。通用しなければ、立場が変わるかもしれない。そう考えると、正直、何度も自信を失いかけました。 大会の前日、なかなか眠れずにイヤホンをつけました。何を聴くか迷って、結局いつも日本で聴いていた米須玄師さんの春雷を流しました。特別な理由があったわけではありません。でも、イントロが始まった瞬間、胸の奥が少し熱くなりました。怖いのは、本気だからだと思いました。ここで結果を出したいと思っているから、失敗が怖いだけなんだと気づきました。音が強くなるにつれて、うまくやろうとしすぎていた自分が少しだけほどけていく感覚がありました。完璧な英語も、完璧なレースもいらない。今出せる力を出すだけでいい。そのシンプルなことを、やっと受け入れられた気がしました。 当日、スタートラインに並んだときも緊張は消えていませんでした。でも前日とは違って、逃げたいとは思いませんでした。速く漕ぐことよりも、自分の漕ぎを出すことに集中しようと決めていました。結果がどうなるかは分かりません。それでも、ここに立っている自分を否定しなくなっていました。 ホームステイ先で自分から会話を振れた日。英語で先生に質問できた日。練習で「Good paddle」と声をかけられた日。どれも小さな...