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10月, 2025の投稿を表示しています

スー、高校生になる(3)

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   2024年8月あわらカップにて  中学2年生の前半は、必死に国内の高校を調べて訪問して考察する日々。合わせて、NBHSの校長先生に問われた「カヌーポロの他には、何を学びたい?」という自分への課題と向き合いながらの試行錯誤。食卓でも何度も話題に上がりながら、正解の見えない模索が続いた。(ゆ)がよく言うように、きっと「どれも正解」。より多い選択肢があるということを豊かなこと、だと捉えたい。そこから迷って悩んで考え抜いて選択すること、それに意味がある。だからこそ、きっと辛いときも踏ん張れる。 以下は、高校見学の一年間を経て、(す)がまとめたレポートです。長文ですが、悩める少年の頭の中を垣間見ることができます。 2024年6月日本丸カップみなとみらいにて * * * 高校見学レポート 上原朱座   1,この一年の振り返り  中学 2 年のこの一年、日本各地の大会に遠征で行くたびに進路のことを考えてきた。同世代の選手、日本代表含むシニア世代の選手、各地のクラブチーム監督や指導者とも積極的に会話をして、プレーに関することだけでなく、進路についてもアドバイスや意見をもらってきた。  プレーについては、 9 月にあった日本選手権(中学生の部)での 2 連覇優勝を目標に据えて、一生懸命に取り組んできた。同世代の中では小柄な自分だが、試合では逆にそれを強みに出来るよう、戦略やポジショニングの研究にも力を入れた。山梨ではチーム練習ができる機会がほとんどないが、徹底した個人練習の見直しを図って取り組んだことで、大きく成長できた実感がある。例えば、各地の大会でシニアの部(主にカヌーポロに専門的に取り組んでいる大人世代のチームが参戦する最上位クラス。ほかに、カヌーポロ経験者や若い世代がチームを結成して参戦するミドルクラスと、小中学生やカヌーポロ初心者が参戦するビギナーズクラスの 3 部構成で大会が開催されることが多い)に出場するチームに加って競技させてもらい、その後もチーム加入に誘われるようになった。  また U-21 日本代表の練習に特例( U-21 選考会は 15 際以上が対象で、今シーズンまではまだ受験資格がない)で参加が認められたこともあった。その結果、この一年で真剣に話ができるカヌーポロの仲間・先輩が各地にできた。またそのおかげで、自主練だけでは賄えない、チー...

スー、高校生になる(2)

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   成田空港ではしゃぐ(す)   コルカタ から戻ってきて、 愛媛 で 山梨 で毎年賑やかに、試行錯誤して、それでも家族そろって健やかに暮らしてきた。とはいえ、(ゆ)と0歳の(う)と飛行機に乗っていた時のこともはっきりと覚えているのに、あれから16年も経っていて、今度は(す)と二人で飛行機に乗ることになろうとは。  カヌーポロを思いきりやれる高校生活を送りたい。その確固たる思いと努力する(す)を日々見てきて、私と(ゆ)はニュージーランドへの進学も視野に入れることを支援することにした。学校とのやりとりも重ねてきた私が、完全アテンドのニュージーランドへの高校見学の旅。未知なこと、久しぶりなことばかりで不安もあるけれど、重大ミッションなので気を引き締めてかかった。(どんなシーフード料理に出会えるか、も楽しみだった。)  夜な夜な下調べをしていると、なんとFBで知り合いがニュージーランドで永住権を取得したという記事が目に飛び込んできた。私が大学を休学して参加していた国際NGOの当時のスタッフで北欧出身のKだ。当時私は19歳、アメリカで研修生。私は彼のことをよく覚えていて、その穏やかなで誠実な雰囲気にかなり助けられた。さて、あちらはどうだろう。当時日本人も私以外いなかったし、研修後にインド行ったのも私だけだったし・・・覚えてるかも!とダメ元でメッセージを送ってみた。するとすぐに「懐かしいね!」のお返事が。よし、未知の場所だったはずのオセアニアが、Kのおかげでググっと身近になった気がした。私たちとしては大変ありがたいことに、国際便が到着するオークランドに住んでおり、空港で会えることに。他にも服装や持ち物のことなど滞在についての相談にも乗ってくれ、なんてこった、たちまちものすごい安心感。 22年ぶりのKとの再会! さて滞在を経て、帰路につきながらの私のメモを手掛かりに、当時の気持ちを以下にまとめました。 * 朱座の弾む心の音が、ひしひし伝わってきた。 ネーピアの街中を流れる川を見て、地域のカヌー場をみて、通りがかりの庭先にある誰かのカヤックをみて、クラブチームの看板を見て、いちいち小躍りが止まらない様子。そして目にしたシニア、ジュニアの大会の様子。いきなり大会に飛び込んでプレーさせてもらった同世代の男の子たちとの雰囲気。カヌー場に並ぶ、ギアが詰め込まれた沢山のコンテナ。...

スー、高校生になる(1)

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    この日は夏に火入れをした焼畑の山で、(ゆ)と蕎麦の収穫をした。あれやこれやおしゃべりをしながら、ふと子どもたちの進路選択の話題になった。(ゆ)が穏やかに、 「それにしても、我々は二世につくす人生だねぇ。自分たちが何を我慢しているというわけでもないけれど、いつも家族としての決断の最優先事項は子どもたちのこと。自分たちがガンガン稼いで年収や社会的地位とやらを上げていくという道もあった気もするけれど、そうではない人生を選んできたようだ。」 お、いいことを言ったな、と思った。私も、折々に感じていた。 (う)が10歳でインドに里帰り旅 を実現させたり、(す)のこの度のニュージーランド進学についても、私たちのこれまでの経歴と人脈と度胸が大いに注ぎ込まれている。きっとそれは、今後の(ま)や(さ)にも同じ。そして結果的に本人たちの希望にも沿い、私たちも一緒に冒険を楽しめる。なかなか面白く循環している、と折々に思っていた。  そんなことに思いを馳せていると、パッカパッカパッカ・・・と近づいてくる馬の駆けるような音。突然目の前を若い雄鹿が軽やかなステップで横切っていく。えええ!と思って(ゆ)を呼んで知らせていると、しばらくして山の中で遊んでいたはずのうちの コト (甲斐犬・オス・5カ月)が後から嬉しそうに走ってきた。初めての動く鹿に、興味津々でついてきたという印象。それにしても、初の鹿追い。猟犬としての素質はいかに?  子どもたちのことに思いを馳せてしみじみしていたところだったので、最初あっけにとられつつ、なんだなんだ?と我に返った。頭の中と目の前の情景のギャップがおかしくて笑えた。 この畑のすぐ上を鹿とコトが走っていった    そう、中3の(す)は年が明けた1月末にニュージーランドに一人で旅立ち、2月からの新学期を迎える。ここから3年間の高校生が待っている。カヌーポロに全力で取り組みたい(す)の武者修行。英語、生活スタイル、教育環境の違い。きっとこの子ならもがき楽しみながら乗り越えていける、と思う(多分)。そう思わせるだけの努力と考察を、この子は続けてきたと思える。  思えば 小1で早川町に来て 、本流堂とラフティングに出会い、パドルスポーツへの興味がいつしか競技として追及していくことにつながっていった。中2の段階では、カヌーポロに専念したい思いが強くなり、我が家的に...

ツリークライミング授業

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この日は、早川町立早川南でツリークライミングの授業でした。 少し前に、学校から電話がかかってきて、「総合的学習の時間で子どもたちが、早川町の自然を生かしたアクティビティについてグループごとに調べています。うちのグループでツリークライミングについてお話ししてもらえないですか」と思いがけない依頼。最初は別のことに頭半分取られたようだったけど、ツリークライミングを通じて、地元の子どもたちの教育に携わることは、ファシリテーターの資格を有してからの念願だっただけに、用件がだんだん分かってくると、落ち着いて受け答えしながらも、心は小躍り。 ツリークライミングに関心を持ってくれたのは、4,5年生のグループでした。授業は2コマ分を利用し、半分は教室で、もう半分は校庭でツリークライミング体験、というプログラム。 教室では、作ったスライドを利用して、僕たち家族が9年前に早川に移住してきてからの、山の暮らしに関わること。その中でツリークライミングがどんな意味を持ってきているのか。先般参加した「ジャイアントセコイアの森保護活動」の体験談も織り交ぜながら、日本でツリークライミングがはじまった歴史、ツリークライミングを続けてきたことで僕が感じている早川の魅力、そして、レクリエーションとしてのツリークライミングが大切にしていることについてもお話しました。 校庭でのツリークライミングでは、ソメイヨシノの太い枝にアンカーを取りました。それほど高くはないアンカーですが、限られた時間の中で、参加した2人の子どもたちは見事に登攀しきりました。 子どもたちが真剣に話を聴き入る姿は、素直に嬉しいものでした。解散前に感想を聞かせてくれましたが、お話しした内容について「感動した」とまで言ってもらい、悩みながらも準備した甲斐がありました。時間がたっぷりあるわけでもないのに、つい手を動かしたくなって描いた絵は、スライドの最後に使いました。 授業の内容は、これからグループでまとめていくようです。また、ほかのアクティビティについて調べる別グループとのコラボ制作もあるようです。良い成果が生み出せるといいですね。 貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございました。楽しそうにツリークライミングしているのを見て、やっぱりいつか全校ツリークライミングもやりたいものだ。 (ゆ)

故遣薰風特送涼(3)

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 最終日はまず中正紀念堂に行った。  忘れられないのは、1階のフロアと、4階の蒋介石のブロンズ像のある空間の、ヒノキの天井。彫ったり組まれたりしている巨大な天井は見上げていると吸い込まれるような、不思議なものだった。かすかにヒノキの香りもして、気持ちがほっとした。やはり台湾のヒノキも長い時間をかけて(1m育つのに350年かかるらしい)、質の高い木に育つそうだ。そこから取れるオイルの成分もすばらしいのだろう。蒋介石を記念して建てられたことがピンとこないのは、様々な年齢の、障がいをもった画家が描いた絵がたっぷりと展示されていたり、お年寄り向けの書の教室などが開かれていたり、小さい子どもたちが庭を散歩していたりしていたからだろうか。巨大なヒノキが香る空間で、年齢も国も何もかも違う人たちが、それぞれが好きなものを見ている。正門の両サイドには、国家戯劇院と国家音楽庁の、くっきりした朱色の建物もあった。美しくてカラフルなのに、静かな場所だった。   初めから終わりまで、驚くほどスムーズで苦労のない旅だった。   しかし、もっと面白いものがあるはずなのも分かった。7年前行ったインドにも、もっと面白いものがあるはずなんだよな、と思った。   私には、興味を持っていることがたくさんある。それらに打ち込める環境にもいるし、工夫次第でもっともっと打ち込めることも知っている。でも、もっと何か向き合いたいものが、向き合うべきものがあるとも、思うのだ。それに早く時間をかけたい、今こんなことをしている場合ではないのに、と、焦るような気持ちが自分にあることをこの旅で気づいた。もう来年には18歳なのだ。   最終日、龍山寺でおみくじをひいた。お寺の係員みたいな人は、「ルールを守っていれば問題ない」と日本語に翻訳された文を見せて、ざっくりとした意味を教えてくれただけだったので、帰国後に意味を調べてみた。   書いてあったのは、「諸葛公隆中高臥」という故事がもとになった歌だった。  夏日初臨日正長  夏の日は一年でもっとも長い。    人皆愁惱熱非常  人は皆暑さに苦労するものだ。  天公也解諸人意  そんな時天は人々の意を汲み、    故遣薰風特送涼...

故遣薰風特送涼(2)

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 2日目は台湾大学のキャンパスツアーから始まった。  1928年の日本統治時に創設され、当時は日本人の教授もたくさんいたそうだ。キャンパスの総面積が国土の1%を占めると聞いた時はびっくりした。実際とっても広く、キャンパス内の道路や交差点、広い池やあずま屋、あちらこちらに生える立派な木々が、一つの町を作っているようだった。地元の幼稚園児たちが先生と散歩に来ていたり、おじいちゃんが犬の散歩をしていたりした。ふさわしい木がこんなにたくさんあるのだから、父がツリークライミングをしたらみんな楽しいだろうなあと思った。   その後に訪れたのは228記念館。台湾のおおまかな歴史の流れすら理解できていないまま日本を出発した私は、ここがどういう場所なのか、本当に検討がついていなかった。今回は修学旅行だったから来られたけど、こんなに無知なまま、海外を訪れようとはまず思わなかっただろう。   50年にわたって日本が台湾を植民地支配していた。台湾にずっと住んでいた人たち。日中戦争後の内戦で敗れ、逃げてきた蒋介石と軍人たちとその家族。彼らの話す言葉は違った。数ヶ月前にニュースで見た、蒋介石の銅像を撤去するかしないかで2つに分かれる市民のインタビューを思い出した。それまでふわふわと異国の空間を漂っていたような足が地面をとらえ、一気に重力を感じた気がした。   3日目はまる1日自由散策。台湾人の大学生ハビちゃんが、迷える私たち7人の高専生をどこへでも連れて行ってくれた。原宿のような西門で雑貨や服を買ったり、台北101の展望台に登ったり。屋台ひしめく狭い道の奥の料理店で食べた小籠包が美味しかった。19時の門限ぎりぎりになりそうだったので、屋台で買った大きな大きなジーパイはホテルに帰るまでお預け。どっしり温かい肉の塊を持って地下鉄に乗り、甘辛いタレとスパイスの匂いをぐっとかぎ、大量にかけてもらったチリが鼻に入ってむせた。   日本にきた外国人が行きたい!というようなポピュラーな場所、写真映えするスポットは、私たち日本人にとっても異空間というか、自然ではないだろう。自分たちの姿が、日本にいるときにみる外国人観光客の姿とぴったり重なった。当然である。   私はあまのじゃくなので、なんだかそれが少し悔しく、虚しかった。日本で外国人観光客に、「どこが...

故遣薰風特送涼(1)

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10月14日からの3泊4日、修学旅行ということで台湾に行った。 学校が始まって2週間。なんだか夏休みが続いているような、海外に行くのがどこか信じられない気持ちで出発日を迎えた。   台北市に向かう飛行機の中で、10歳の時に行ったインド旅のことを考えた。今回の帰国日は10月17日だったが、寮に着いてシャワーを浴びた時にはもう18日になって30分が過ぎていた。この日は17歳の誕生日だった。インドへ行ってからもう7年も経っていた。   生まれてから10年の節目で、出生国インドへ。パスポートやビザを取るのにどれくらい時間がかかったのか分からないけど、初めて自分で書類に住所を書いたり、毎日3行日記を書いて英語を勉強したり、行くまでにかけていた熱量と時間を思い出すと、今回の旅があまりにもあっけなく始まった感じがあった。   桃園空港に到着し、まず向かったのは九份。都会の台北市から高速道路で走っていると、徐々に山が道路の脇に迫ってきた。くねくねした細い林道のような道は赤沢へ向かうルートに似ていた。海抜ほぼ0mの空港から300mほど登っただろうか。急斜面を隙間なく覆う濃い緑の木々。そこに点在する、コンクリート色の四角い小屋のような建物。赤い提灯。幅1mもないような階段。そして面積の狭い青空。茂倉、赤沢、奈良田。ああこれは見たことあるぞ。振り向くと、リアス式海岸のような入りくんだ港が小さく見えた。視野に大きく占める緑の斜面が中心へ向かって集まり、くねくねした小さな港に収束する図は、明浜で見た気がするなと思った。   この日は平日で、夜になるとお客さんが増えるそう。まだ人通りの少ない階段を登って向かったのは「あめおちゃ」というお茶屋さん。お雛様のような小さな色とりどりのお菓子と、お茶を飲んだ。標高の高いところで栽培される台湾のお茶は、渋みが少なく、同じ茶葉で長く楽しめるのが特徴だそう。その通り、飲んだ後に甘い香りが鼻からぬけ、飲み物に対してそう思ったことはなかったけれど、可憐、という言葉が合うような気がした。少し開けたところにあるお土産屋さんで「東方美人茶」という茶葉を買った。台湾の東側は中央山脈が南北を貫いており、太平洋から迫る台風もこの山脈にしずめられて低気圧として流れるそう。そんな標高の高いところで作るのが、お茶とわさび。このわさびはツーンと...

石積みミニキットの試作

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 石積みの価値をもっと知ってもらいたいと、ずっと感じていて、これまでたくさんの人にワークショップを提供してきた経験から、「体験してもらうのが一番!」と思ってました。  ですが石積みワークショップでは問題ある石垣を実際に修復してもらうので、それなりの重量のある石を扱います。なので「参加するのに、体力的に自信がない」という人が少なからずいるような気がします。また、あらかじめ日取りを決めておかざるを得ないので、「日程が合わない」という人も。たくさんの人で集まるのが苦手な人もいるかもしれません。  そこでもうちょっと手軽に、こちらが出張できるスタイルを模索すべく、石積み体験できるミニキットを作りたいと、ずっと思っていました。実際に取り掛かるまでずいぶん時間をかけてしまいましたが、ようやく試作第一号が完成。  二分勾配仕様です。側面も直立ではなく、積み切りした石垣に接続するイメージで、こちらも二分勾配の傾斜をつけてみました。この木枠の土台が、完了した床掘り後のミニチュアをイメージして作られています。まずまずの出来だと思いますが、素人大工が実物を前にアレコレ考えながら手を動かすので、ほとんど一日がかりになってしまいました。  手のひらサイズの石を用いて、本格的な石積みができるものを目指しています。まず確かめたかったのは、石を積んでも安定しているかどうか。高く積み上げると倒れやすくなってしまうのではないかと心配していましたが、その点は大丈夫そうです。(さ)が押してみましたが、全く動きません。  ミニ石積みをやってみて、いろいろ思うところもありました。実際にイベントなどで使用することを想定して、反省点や改善点をまとめておきます。 1. ミニキットでの石積みが、想像していたよりずっと難しい。今回は、早川流域で集められるいろんな種類の石を集めてみましたが、どれも〝積み石のミニチュア〟とは言い難いものです。自然石なので、デコボコは石の種類によって傾向があり、そこまでミニチュアにはならないようですね。これが難しさの主な要因だと思います。 また、石積みワークショップで参加者を悩ます〝おにぎり〟と通称する石もあえて交ぜておいたのですが、僕自身がこのフェイクな石を何度も拾い上げ、頭を抱えてしまいました。ミニキットでは短い時間でのローテーションが想定されます。利用する石は積みやすそうなものに厳選し...

支障木伐採の仕事完了

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 奈良田区から受託した、支障木の伐採作業が完了しました。  今回は、敷地の狭いところで高く伸びて枝を広げてしまったモミの木を中心に、集落内の道路に面した木もまとめて処置してほしい、という依頼でした。広がったモミの木の枝は家屋と隣の観光施設の屋根にかかっているだけでなく、隣の民家への日当たりを遮り、暴風のときには枝が飛んでいってしまう恐れもありました。道路沿いの木々は道路側に枝を伸ばして雪が積もることがあり、また一部は電線よりも伸びてしまっていました。  道路沿いの木々のうち、イロハモミジ2本については、紅葉が綺麗ですし、集落の方が熱心に取り組んでいるニホンミツバチが集まる樹木でもあるので、近隣住民とも相談し、伐採はせずに、支障をきたさないように剪定して、樹高も下げる処置をすることにしました。  そしてモミの木の伐採は、クライミングは先輩アーボリストにお任せし、僕はグラウンドワーカーとして、専用のロープや器具を使って樹の上部から短く刻んで伐り落としていく丸太の処置に専念しました。どんな風に作業を進めるのか、興味津々で集まる集落住民の皆さんの安全を確保しつつ、アーボリスト技術の説明をするのも大事な役目でした。  作業終了後、支障を感じていた近隣の住民の方から「すごく明るくなった。ありがとう、お父さんもずっと見てて喜んでいる」と言ってもらえたのは、素直に嬉しかったです。Atelier mooのアーボリカルチャー関連の仕事初請負が、奈良田区からの依頼であったことは、ここで暮らし始めてからの9年を振り返ると、感慨深いものがあります。 (ゆ)

イロハモミジの剪定(2025.10.02)

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 奈良田の昔の石置き屋根の民家を復元した「山城屋」前のイロハモミジを剪定させてもらいました。今日は午後から山城屋で学習イベント『奈良田ことばの学び舎』が開催されるので、それに間に合うように、通行しにくくしていた垂れ下がった枝を中心に枝抜き剪定。ほかにも問題になっている、またはやがて問題を起こしそうな枝もいくつか除去。この樹に吊り下げられていたふうれんちょう(「ブランコ」を指す奈良田ことば)も、壊れていたので取り外しました。  写真では変わり映えしませんが、樹の下では、作業の前後でとてもすっきりしました。地面はきれいに苔生して良い雰囲気だったので、片付けの時も傷めないように気をつけ、作業の後も、何事もなかったようなたたずまいに。  伐り落とした枝もきれいに整頓。  選定したこのイロハモミジの樹で、ツリークライミング体験もさせてもらえることになりました。それほど背の高くない樹なので小さい子向けにはなりますが、気持ちが良いと思います。  今季のメープルシロップ樹液採集が終わって落ち着いた頃を目安に、〝メープルの日〟企画も生まれそうです。うちで作るメープルシロップを使ったメニューを食し、メープルシロップのお話をして、このイロハモミジ(メープルの木)に触れ合う(ツリークライミング)イベント。実現するといいな。早くも楽しみ。 (ゆ)